世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:”上”にゴールはあるのでしょうか?」

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世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:”上”にゴールはあるのでしょうか?」

ミナミAアシュタールRadio53

どのようにこの騒ぎを収束させるつもりでしょうか?

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今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「”上”にゴールはあるのでしょうか?」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。
 
あなたは毎日何をしていますか?
 
どう過ごしていますか?
 
忙しい、忙しいといつも小走りに生きていませんか?
 
あなたは何のために生きていますか?
 
生きるとはどういうことか意識したことはありますか?
 
 
生きるとはどういうことでしょうか?
 
それをもう一度考えてみてください。
 
生きるために・・ではなくて、生きるということです。
 
 
あなた達は”向上心”という言葉を刷り込まれてしまっています。
 
向上心を持ちなさいと教育されているのです。
 
常に上を目指し、努力しなさいと言われ続けているのです。
 
具体的な”上”が何かわからなくても、でも”上”を目指さなけば
 
いけない、ぼ~っとしている暇はない。
 
お金持ちになることもある意味”上”を目指すことです。
 
もっとお金持ちになって、社会的立場も上げてという気持ちも
 
”上”を目指すという心理です。
 
 
お金だけではなく、精神的にももっと成長しなければいけないとも
 
刷り込まれます。
 
成長した先の具体的な人物像もわからず、とにかく精神的に優れた
 
人にならなければいけないと雲をつかむような気持で”上”を
 
目指します。
 
どこから手を付けていいのかわからず、何をしていいのかわからず
 
手当たり次第に精神的に成長できると言われる方法を試し迷子に
 
なって行くのです。
 
 
勉強でもスポーツでももっと”上”を目指せと言われます。
 
そうなると楽しいはずの趣味までも”上”を目指しはじめ、楽しさが
 
半減していってしまうということにもなってしまいます。
 
容姿においても、もっときれいにならなければいけない、
 
きれいを目指さなくなったらお終いだと努力を続けます。
 
身体も健康にならなければいけない、もっと健康にとたくさんの
 
サプリを飲んだり、運動をしたりと努力を続けます。
 
それはものすごいストレスになります。
 
 
そのままではいけないのでしょうか?
 
あなたは具体的にどこを目指しているのでしょうか?
 
その”上”にはどんな生活が待っているのでしょうか?
 
”上”にゴールはあるのでしょうか?
 
 
ゴールのない”上”を目指していると底なし沼のように
 
なってしまいます。
 
砂漠の蜃気楼を追い求めて疲れ果ててしまう旅人になって
 
しまいます。
 
特に具体的な”上”のイメージがなければどこまで行っていいのか
 
分からなくなり、生活を楽しむ余裕などなくなりとにかく走り続ける
 
だけの生活になります。
 
特にお金の問題は大きいですね。
 
どこまでお金を得ればそこがゴールなのかわからず、もっともっとと
 
どんどん大きな金額を目指すようになります。
 
そこまで行けない自分にがっかりしたり、ダメだと思ったりして
 
いつも自分のお尻を叩き続けることになります。
 
そんな生活は疲弊するだけです。
 
 
ぼ~っと、ふんわりと、どこも目指さず、ただ毎日を楽しむだけの
 
生活ではいけないのでしょうか?
 
時間など気にせず、やりたいことをやっているだけでも十分豊かに
 
生活することが出来ます。
 
作物も収穫高を気にしてもっと収穫できるようになど考えなければ
 
そんなに手間をかけなくても十分な収穫が出来るのです。
 
 
ふわ~っと生きていても十分豊かな生活が出来るのです。
 
じょうもんの人たちや江戸の人たちはふわ~っと生きていました。
 
どこかを目指すことなど考えず、いまこのときの瞬間を楽しむ生活を
 
していました。
 
太陽の下で昼寝をしている自分の生活を愛していたのです。
 
それがさぼっているなどとは思っていませんでした。
 
気持ちよくこころゆくまで太陽の暖かさと吹いてくる風が肌に
 
当たる感じ、鳥の声、虫の音、川のせせらぎを楽しんでいました。
 
それをとがめる人などいないのです。
 
 
したいと思えばあなたが仕事と呼んでいる作業もします。
 
農作業もしますし、ものを作ることもします。
 
でも、もっともっと効率よくなどと自分のお尻を叩くことは
 
しません。
 
これでいいと思えばやめて昼寝もします。
 
 
そのような生活も出来るのです。
 
ゆったりとふんわり生きることも出来るのです。
 
どこか”上”を目指す必要などないのです。
 
 
”上”を目指すことをやめれば、すぐにでもそのようなゆったりと
 
ふんわりとした生活をすることが出来ます。
 
ふんわり楽しい生活は怠惰な生活ではありません。
 
人として終わってる生活でもないのです。
 
 
”上”を目指すことが良いことだとあなた達に刷り込めば
 
あなた達から搾取している人たちにとってとても都合がよくなります。
 
あなた達からもっと搾取することが出来るのです。
 
ですから、”上”を目指しなさいと言われてきたのです。
 
 
どこまで行けばいいのかわからない”上”を目指していても
 
一生たどり着くことは出来ません。
 
常に焦燥感を感じるだけになります。
 
ストレスを感じるだけなのです。
 
 
”上”を目指す、”成長する”などということは必要ありません。
 
いまのひと時をゆったりとふんわりと楽しむ生活もあるという
 
ことを知っていただきたいと思います。
 
その場を楽しんでいればずっと楽しい生活が続きます。
 
どこかに行く必要はありません。
 
”いまこのとき”を生きてください。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 
 
 
 


ありがとう、アシュタール! 感謝します。  

マイコメント

”上”、つまり上限ということですが、そんなものはどこを探しても無いし見つかりません。

私たちがいつも学校や会社で示されるゴールと言うのはあくまでも一つの通過点でしか

なく、それに到達すれば次のゴールが示されるだけです。そしてまたゴールに達したと

思えばもっと上のゴールが提示され常に到達できない”上”を提示され続けるだけです。

無駄な徒労に終わります。

ならばゴールは自分で決めるしかないのです。

ここまでやったらそれ以上追わないようにしようと決めておくことです。

それがひとつの方法ですが、最上の方法はゴールを目指さないことです。

現状をそのまま続けて行けば次第に上に行くことになるので自然の流れに任せる

ことでもいいわけです。

常に他人と自分を比較しその劣っている部分の穴埋めをしようともがき苦しんでも

意味がありません。

それよりも楽しく日々を送ることです。

その楽しみは自分で見つけないといけません。

他人の楽しみはイコール自分の楽しみではありませんから。

しかし、他人の楽しみに共感を覚えるならばそれをやることもひとつの手です。

それがいつかは自分の楽しみに変わることもあり得るからです。

また、上を目指して楽しみを続けるという考えも手放し、自分の中に目標を

定め到達出来たら自分にご褒美を上げ一区切りをつければいいだけです。

目標はゴールではありません。自分で定める通過点です。

従ってこの場合その目標を目指すことは問題ないだろうと思います。

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