世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:愛は束縛じゃない、奪い合いじゃない」

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世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:愛は束縛じゃない、奪い合いじゃない」

ミナミAアシュタールRadio85


みんなで流れていけば何となく安心?

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「愛は束縛じゃない、奪い合いじゃない」by さくやさん

縄文や江戸の時代にも『失恋』というものは
 
あったのでしょうか?
 
失恋するとショックでセルフイメージが落ちてしまい、
 
死にたくなったりしますが、そういう時はどのように
 
対処したら良いのでしょうか?
 
 
というご質問をいただきましたぁ~^^;
 
失恋・・私も経験あるなぁ~~(遠い目)
 
 
では、さくやさん、よろしくお願いします^0^

「失恋ねぇ~
 
じょうもんの子たちや江戸の子たちには、いまあなた達が
 
考えているような失恋という概念はなかったわね。
 
あなた達が思っている失恋っていうのは、
 
思いが届かないからツラいって話でしょ。
 
相思相愛にならない事を失恋って言ってるんでしょ?
 
 
それって相手を主体に考えているって事よね。
 
じょうもんの子たちや江戸の子たちは反対なの。
 
自分を主体に考えていたのよ。
 
 
どこから話したらわかりやすいかしらね。
 
まず、相思相愛っていう考えがそもそも所有の概念よね。
 
私だけを見ていて、私だけのあなたになって・・っていう
 
考え方でしょ。
 
他の人を見ないで私とだけ付き合ってってことよね。
 
浮気や不倫というものと考え方の根っこは同じよね。
 
 
自分だけを見てくれないから恋は終わったって思う。
 
失恋したと思うって事でしょ。
 
 
じょうもんの子には所有という概念がなかったし、
 
江戸の子たちも少しは所有の概念はあったけどいまほど
 
じゃないし、そして人を所有する(あなたは私のものなんて
 
いう)考えはなかった。
 
もちろん相思相愛はあったわよ。
 
 
でもね、相思相愛が最終地点だとはおもってなかったの。
 
どういうことかというと、相手が自分と同じ気持ちになって
 
くれなくても(同じ気持ちを持ってくれなくも)いいの。
 
自分がその人を好きだと思う気持ちがあるから、
 
それでいいって思えるの。
 
 
その人の事を好きになった自分が誇らしいって感じかな。
 
だから、失恋したから死にたくなるなんてまったくなかったわ。
 
 
セルフイメージが低くなるどころか、こんなに人の事を愛おしいと
 
思える自分ですごいって思えたの。
 
こんな自分だからあの人から好きになってもらえないって
 
思うのとまるで反対ね。
 
 
これは誰を主体として考えているかの違い。
 
相手を主体に考えると、その人の動向で自分の気持ちが揺れる。
 
その人の行動で一喜一憂して自分がなくなっちゃう。
 
 
でもね、自分がその人を好きなんだからいい、その気持ちが
 
自分なんだって思えたら(自分を主体として、自分の気持ちだけに
 
フォーカスすることが出来たら)その人がどう行動しようと
 
自分の中はブレない。
 
 
わかるかしら?
 
相思相愛が良い、相思相愛じゃないとダメ・・っていう考え方を
 
変えてみたら?
 
相手を主体に考えるんじゃなくて、自分を主体にするの。
 
 
そんなにその人を好きになれる自分でステキって思えるわ。
 
人を好きになれる自分が大好きになれるわ。
 
もし自分が好きな人が、自分と同じように自分を好きだと
 
思ってくれたらラッキーくらいに思っていたらいいんじゃない?
 
 
人と愛し合うっていうのは束縛し合う事じゃない。
 
人を所有する、自分だけを優先して、自分だけを見ていなければ
 
いけないっていう考えは相手を愛しているとは言えないと
 
思うけど。
 
 
愛しているならば、好きならば、その人の自由を奪おうとか
 
囲いこもうとか、しないと思うけどね。
 
愛してるなら私だけをみて、私だけを優先して、っていうのは
 
本当の愛じゃないよね。
 
 
本当に相手が好きならば、相手の意見を尊重し、その人の存在に
 
感謝出来ると思うのよ。
 
自分以外の人をそんなに愛おしく思える経験が出来ることにも
 
感謝出来ると思う。
 
そして、人を愛することが出来る自分もステキって思える。
 
 
誰かを愛することが出来るって当たり前の事じゃなくて
 
すごい事なんだから。
 
好きって思える人に出会えるってすごい事なんだから。
 
その経験を楽しんでよね。
 
 
愛は束縛じゃないし、奪い合いじゃない。
 
尊敬しあえることなの。
 
 
あなた達をこころから愛してるわ~~」
 
 


ありがとう、さくやさん!  

私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^

マイコメント


この感覚はなかなか理解しづらいだろうと思います。

異性を真剣に愛して恋敗れたとしても、

「私はあの人を心から愛することができたんだから、そんな私は素晴らしい存在」

と、思えるかどうかです。

でも、江戸時代の人がそう考えることが出来たというのはおそらく周りがすべて

そのように考えていられたから、またそんな姿を子供のころから見せられていれば

愛に束縛と所有という概念が出てこなかったんじゃないかと思います。

今はどうでしょうか?

結婚することで相手の自由を奪い縛り付けることが一般的で、そこから外れると

不倫という烙印を押され世間の大非難を浴びます。

そうした死の姿を子供のころから見せられていれば愛というのは束縛するもの

奪うものという概念が知らず知らずのうちに沁みつくのもありかなと思います。

社会的通念は社会を構成する人々が作っているものです。

それがスタンダードになります。

そして、それを誰にも要求されます。

日本は明治以降急速にその姿を変えてしまいました。

西欧の思想を取り入れることが素晴らしいことと教えられ、それまでの

日本的文化風土が否定されていったのです。


当時多くの知己人はそれまでの日本を否定することこそが社会的ステータス

であったのです。

今私たちはその歴史の果てに生きているのですが、こうしたことは一人一人が

変えていかない限り愛に対する所有と束縛の概念は残り続けるでしょう。



私にも相手はいますが、私はほとんど束縛はしてません。

そのため互いに軽い関係でいられ、互いに言いたいことを言います。

それでも相手の言うことを互いに受け止められ、嫌なら嫌、YesならYesと

言える環境を作っています。

それは互いの言い争いをなくすことにもつながります。

互いに信頼し合えるということはとても心の軽い状態を作れます。

だとしても所有や束縛の概念はゼロということでもないことは理解してください。

それは、ほぼゼロに近い状態でいられるということです。





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