世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:時間はテラ独特の概念」

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ホログラム アセンション

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:時間はテラ独特の概念」

宇宙には時間も空間もないというけれど、地球には時間と歴史があるのはどうしてなのだろう?

ミナミAアシュタールさんの配信をずっと見ていて、
 
「宇宙には時間も空間もない」と何度も言われるので
 
そうなんだろうなとは思うのですが、
 
時間がないなら歴史もないのでは?
 
という疑問があります。
 
ミナミAアシュタールさんの言う日本や世界の歴史や、
 
アカシックレコードに蓄積された膨大な記憶などは、
 
時間の積み重ねの結果とは違うものなのでしょうか? 
 
「時間」はないけど「歴史」や「経験」はあるというのは
 
どのような状態なのでしょうか? 
 
説明が難しいことなのかもしれませんが、
 
聞いてみたいです。よろしくお願いします。
 
 
・・というご質問をいただきましたぁ~^0^
 
 
では、アシュタール、よろしくお願いしま~す

「時間はテラ独特の概念」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
 
宇宙には時間も空間もありません。
 
ただ、物質世界のテラには時間も空間もあります。
 
それは、あなた達テラに存在する人、動物、植物、鉱物
 
すべての存在の共有意識で創ったものなのです。
 
その方が面白い、そして、循環しやすいという事で、
 
共有意識で創造したのです。
 
 
ゲームのソフトのような感じです。
 
みんなで同じゲームソフトを使って遊びましょうと
 
思って創ったゲームソフトなのです。
 
ですから、身体も年代によって変わってきます。
 
循環のために老化、死という現象もそのゲームソフトの
 
中に組み込まれているのです。
 
こうしてみんなで共有意識のもと遊んでいるのです。
 
 
ですから、歴史というものも存在します。
 
ただ、これもあなた達が時間という概念でみているから
 
歴史があると思っているのです。
 
積み重ねた時間という概念を創っているのです。
 
 
宇宙にも経験はあります。
 
というより、宇宙そのものが経験なのです。
 
絶対無限の存在が宇宙なのです。
 
絶対無限の存在の意識がたくさんの自分を創り
 
その自分たちにいろいろな経験をしてもらって
 
いるのです。
 
だから、たくさんの経験があり、その経験の記憶が
 
アカシックレコードなのです。
 
ただ、アカシックレコードは過去の記憶という事
 
ではありません。
 
アカシックレコードには時間という概念は通用しません。
 
時間ではないのです。
 
すべての存在のその時々の経験と思考が記憶されている
 
だけなのです。
 
 
宇宙の経験は積み重なっているのではなく、
 
単体なのです。
 
パラパラ漫画の一枚の絵として時間は関係なく
 
存在します。
 
誰かが考えたことが一枚の絵になるのです。
 
誰かが経験したことが一枚の絵になるのです。
 
一枚の絵がパラレルワールドなのです。
 
アカシックレコードはパラレルワールドなのです。
 
それは時間という概念の無い宇宙においては
 
積み重なったもの、歴史のように続いているものでは
 
ありません。
 
時間という概念の中で過ごしているあなたには
 
なかなか理解しづらい事だと思いますが、その時々の
 
経験の記憶があるだけなのです。
 
 
一枚、一枚の絵が別々に存在しているのです。
 
そして、その絵が経験としてアカシックレコードに
 
記憶されています。
 
 
歴史は時間という概念の中だけでの認識なのです。
 
積み重なった歴史・・ずっとパラパラし続けている
 
漫画なのです。
 
時間の概念がない宇宙では、ずっとパラパラしないのです。
 
一枚、一枚の絵を単体で見るのです。
 
経験も一枚、一枚の絵として見るのです。
 
 
歴史というずっと続いている時間という概念は
 
テラ独特のものだということです。
 
時間という概念を共有意識で創り出したテラの中の
 
遊びなのです。
 
 
ご理解いただけましたでしょうか?
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 
 
ありがとう、アシュタール! 感謝します。
 

ありがとう、アシュタール! 感謝します。

マイコメント

宇宙には時間も空間もないという概念自体が私たちにはとても理解しにくいものです。

なぜなら私たちには時間もあり空間もあるからです。

しかし、それはホログラムとして見た場合無いと同じことです。

私たちが電車で有楽町から東京駅まで移動する間に電車はいろんな景色を窓の外に映し出し
ますが、実はあれもパラパラ漫画なのです。

電車に乗り込む瞬間右足が前に出るときに出る前と後では一瞬の時間が不連続に存在する
だけで、実際にはバラバラなのです。

それが私たちの思考に連続して見えるので時間があるのです。

もし、ストップモーションで見てみればそれらが一枚の絵が繋がっているように見えるはずです。

そして、そこに連続して一枚の絵を見なければそれぞれが一枚の絵として存在します。

だから、あくまでも時間は私たちの意識と思考が創り出しているものなのです。

もし、私たちが時間と空間のない宇宙に存在する場合にはそれらはどのように見えるのでしょうか?

おそらくそれらは独立した一枚の絵として見え、どの絵も同時に見えるはずです。

時間がないというのは連続性がないと言うことです。

すべてが同時に見え、意識を合わせた一枚あの絵だけが見え、次の瞬間には別の絵が見えると

言う具合になるのかもしれません。

しかし、それだと私たちの意識にはとらえどころがないので疑似的に連続した時空体を創り

時間と言う尺度を当てはめ理解することになるのかもしれません。

私たちが亡くなった後に戻る場所では意識だけが存在しますが、自意識はなく集合意識として

存在しすべての経験記憶が同時に混在して存在するようなところでしょう。

そして知りたければ一つを取り出して見るということになるだろうと思います。

ただ必要なものに意識の焦点を合わせ見るだけです。

また、同時に私たちにはすべての能力があるので自由にものを創り出すことも可能なので

地球時間に合わせた他人の体験を追体験することも可能になるでしょう。

以上は私の個人的な考えですので参考までに・・・。

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