破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:決まっている未来などない!」

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未来 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:決まっている未来などない!」

今日の破・常識!

未来は何も決まっていません。

決まっている未来などないのです。

未来・・次に来る”いま”は、

あなたが決めるのです。byアシュタール

 

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。


「決まっている未来などない!」by アシュタール


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

時間という概念は宇宙にはありません。

宇宙には時間と空間は無いのです。

このことはたぶん物質的な社会、時間と空間があるという概念で

遊ぶことを選んで物質次元のテラに転生したあなたにとって

理解しにくいことだと思います。

でも、宇宙には時間も空間もありません。

あるのは意識エネルギーだけなのです。

その意識エネルギーが自分で時間と空間を作り出しているのが

いまのあなたの現実なのです。

自分がいま存在している認識している

意識エネルギーが連続しているのです。

そして、その連続している意識エネルギーを

時間という概念で認識しているのです。

すべてはあなたの意識エネルギーが作りだしている概念なのです。


時間も空間もない・・それは過去も未来もないということです。

過去は確かにありました・・と思うかもしれませんが

いま現在”過去”は存在していませんね。

????ですか?

いま、このとき、あなたが存在しているのは”いま”だけです。

”いま”しかあなたには無いのです。


では、過去というのはなんなのでしょう?

それは記憶です。

過ぎ去った時間の記憶なのです。

それはあなたの意識エネルギーが覚えている

ホログラムの一部だということです。


では、未来というのはなんなのでしょう?

それは、まだ何もありません。

何もないのです。

”いま”の次に来る”いま”であって

”いま”においては何も存在していないものなのです。

でも、占いや何かで未来を見ることが出来ると思うのですが・・

ということですが、それは推測にすぎないのです。

過去の記憶から、次にはこうなるだろうという推測です。

確実な未来など存在していません。

過去の記憶を頼り(材料?)にして

このまま行くとこういうことになりますと

予測して未来を作っているだけなのです。

分かりますか?


何もない真っ白な紙に、過去の記憶をもとに

絵を描いているようなものなのです。

次にあるのは真っ白な何も書いてない紙です。

だから、過去とはまったく違う絵を描いてもいいのです。

まったく違う絵・・それがパラレルワールドなのです。

過去を基にして次の絵を描いてもいいですが

まったく違う絵を描いてもいいのです。

そうすれば、まったく違う現実を未来にすることが出来るのです

過去に描いた絵と、これから描く絵はまったく関係ありません。

次に何を描いてもいいのです。

次に来る”いま”は、何も描いていない真っ白な紙なのです。

誰かにこの絵を描きなさいと言われることもなく

あなたが好きに描いていい絵なのです。

あなただけの白い紙なのですから。

ですから、あなたの記憶にある過去、

してその過去を基に描いた”いま”の絵が気に入らなかったら

過去の記憶をもとに次の絵を描かなければいいのです。

まったく違う絵を描けばいいのです。

そしたら、私の人生ずっとこのままなのよねぇ~~

・・なんてグチをいうこともなくなります。

ずっとこのままなのよねぇ~~・・というのは、

あなた自身がずっとこのままの絵を描いているからだけなのです。

自分で描いて、グチを言っても仕方ないですね(笑)


未来は何も決まっていません。

決まっている未来などないのです。

未来・・次に来る”いま”は、あなたが決めるのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」

ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

決まっている未来は存在しない。

過去は記憶である。

とするなら、「縄文を創った男たち」の中で登場する信長、秀吉、家康と

さくやさんが話が出来ているのは何故?

という疑問が出てきますが、それは今度セミナーに参加した時に聞いて

見ることにしましょう。

ただ、言えることは自分のたどって来た過去は確かに記憶であるという

ことは間違いないと思います。

私たちは肉体を持って過去に移動する術は持っていないので、この次元で

過去に戻ることはできないのです。

だから、過去に何々があったという記憶を持っていて、その記憶をよりどころに

過去を思い出して見ることになります。

でも、その記憶としての過去も時間が経つにつれて色が薄くなり景色もぼやけ

時系列も曖昧になってしまい、具体的に覚えている人は少ないみたいです。

中には鮮明に克明に日時まで思い出せる人もいるようですが、

私はまるっきりダメです。

昨日の事すら何を食べたか思い出すのに苦労します(笑)。

それで、その記憶というのはどこにあるんでしょうか?

現代の生物学や医学では脳の海馬という部分にあると言われていますが

臨死体験などでも死後も記憶を持ち続けているのを見ると記憶は脳内には

ないのではないかと思うこともあります。


もし、未来が決まっていたら面白くも何ともありませんね。

自分が生まれた時点で65歳の誕生日に死ぬと決まっていたら、あるいは

生まれて5年後に親が亡くなり親類の家に預けられ、かなり手ひどい扱いを

受けるなどということが事前にわかっていたら・・・。

どうするのでしょうか?

運命だと諦め、その通りの人生を歩んで何が楽しいのでしょうか?

人生は未来が決まっていないから面白いのであり、様々な体験をする

ことが出来るのであって、また自分でその未来を創ることが出来るから

より一層楽しいものなのでしょう。

仮に、私がいつ誰と結婚するかわかっていて、それが今大恋愛している

その人ではないと知っていたら未来を変えたいと思うことでしょう。

占いで今恋愛中の人と結婚する運命にあるかどうかを知りたいという気持ちは

誰にでもあるものです。その占いが当たるかどうかはわからなくとも、それも

またひとつのアクションであって人生を彩るひとつの出来事だと思います。

そう考えてみると、未来は確定していない方がいいのではないでしょうか?
 

第3次世界大戦が起こるとか、地球が小惑星の激突で人類が滅亡するとか

いろいろな予言もありますが、それらが必ず的中するという保証もないし

約束もありません。

それらはすべて自分がどこに関心を寄せるかで決まって行くものです。

戦争が起きそうだという不安が強ければ本当に第3次世界大戦が勃発する

かもしれないので、起こって欲しくなければ関心を持たない方が良いでしょう。

結局、私たちには今というこの瞬間しかないのです。

 








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