破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:みんな違う現実を見ています」

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破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:みんな違う現実を見ています」

今日の破・常識!

同じものを見ているようでも、その人の好み、興味


価値観、考え方によって違う現実になるのです。byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。  


「みんな違う現実を見ています」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。

 
みんな違う現実を見ています。

 
同じものを見ているようでも、その人の好み、興味


価値観、考え方によって違う現実になるのです。

 
そして、他の人の見ている現実を誰も見ることは出来ないのです。

 
自分は自分の現実を真実だと思っています。


そして、他の人も同じ現実を見ていると仮定しているのです。

 
たとえば、色ですが・・赤色がみんな赤色に見えているかどうかは

 
わからないということです。

 
?????ですね。

 

あなたにとっての赤色が、違う人は(あなたの目から見たら)


青色かもしれないということです。

 
だって、みんな信号を見てちゃんと止まったり


進んだりしているじゃないですか・・と思うかもしれませんが


小さなころからこれが赤色ですよと教えられた色が


赤色という名前なんだと思っているから


それが赤だと思うのです。

 
言葉で説明するのは難しいですね。

 
ありえないことですが、何人かの現実を同時に見ることが


出来る人がいたら、みんなそれぞれ違う色を


赤色とよんでいるという現象をみるかもしれません。

 
私はこの色が赤だと思います・・と言っても


あなたにとって緑色だと思っている色を


赤色だと思っている人もいるということです。

 
すべてがそうです。

 
あなたの現実は、あなたが見ているものだけなのです。

 
他の人の現実は、あなたと違うのです。

 
どんなに近しい人であっても


その人の現実とあなたの現実は違うのです。

 
色だけではなく、同じものを見ていると思っていても


全く同じものを見ている人は誰もいないのです。

 
同じ景色を見ても、それぞれに違うのです。

 
同じ山を見ていても、みんなそれぞれ違う山を見ているのです。

 
山全体を見ているのか、山の木を見ているのか


木の色にフォーカスして見ているのか


登りやすそうな山だなと思ってみているのか・・・

 
みんな違うものを見ているということなのです。

 
だから、同じ山を見ても感想が違ってきます。

 
きれいな山ですねぇ~とあなたがつぶやいて


そうですねと答えが返ってきても


何がきれいなのかという視点はそれぞれ違います。

 
そして、きれいだと思わない人もいるということです。

 
そうですね・・

 
アシュタールは何が言いたいのでしょうか??・・


というエネルギーを感じますが、私がお伝えしたいのは、

 
みんな違うということです。

 
みんな違うのに、意見が同じだ、意見が合わないということで

 
言い争うことはとてもナンセンスだということです。

 
きれいな山に見える人は、きれいだなと思っていればいいのです。

 
きれいだけど、木が少ないなと思っている人は


そう思っていればいいのです。

 
この山あまり好きじゃないな、と思う人は


そう思っていればいいのです。

 
きれいな山だと言っているのに


どうして木の数のことをいま言わなければいけないのですか?


・・と腹立たしく思うことはいらないのです。

 
私はきれいだと思いますが、あなたは木の数が気になるのですね


・・それでOKなのです。

 
ましてや、私がきれいだと言っているのに


キライだという必要はないじゃないですか


と怒っても仕方がないということです。

 
みんなぞれぞれ違う現実を見ているのに


意見が違うということで不愉快な気持ちになることは


ナンセンスだということです。

 
ましてや、どちらの現実のほうが正しくて


どちらが間違っているなど

 
まったくナンセンスなことなのです。

 
あなたにとっては、あなたが見ている現実が真実なのです。

 
他の人にとっては、その人が見ている現実が真実なのです。

 
お互い真実なのです。

 
でも、違う現実を見ているのです。

 
それがわかれば、何も問題はなくなります。

 
お互いの見ている現実を尊重し合えばいい、それだけになります。

 
あなたが他の人の見ている現実を尊重すれば、

 
他の人もあなたの見ている現実を尊重してくれます。

 
あなたの現実に誰も干渉しなくなります。

 
違うドラマを見ているだけのことですので


違うからと深刻になることもなくなります。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 


ありがとう、アシュタール! 

マイコメント

錯覚ではありませんが、確かに同じものを見ていても受け取る印象は違います。

ただAさんが「きれいだったでしょう」とBさんに同意を求め、「そうだと」

言われただけで自分と同じものを受け取っていると思っているのです。

その「きれい」の中身が違います。

花であれば「色がとてもきれいだった」と思うのか「花の形がとてもきれい

だった」と思うのでは内容が大きく違います。

それが後日Aさんが「あの花の色きれいだったよね」とBさんに言ったと

してもBさんからしてみれば「そうだったわね」と後追いで同意することに

なり、内心では「私は形がきれいだったと思っていたのにAさんは色が

きれいだと思っていたんだね」と改めて知らされるのです。

これがものの考え方や思想だったりすると少々厄介です。

それは使う言葉の定義の中身がそれぞれ違うからです。

アシュタールは同じ赤を別の人は青を見て赤と言っているかもしれないと

語っていましたが、同じ平等と言う言葉であってもその定義は人によって

違います。

そのため意見の食い違いが起きてきます。

戦争の地に生きる人は戦争がなくなることが平和ですが、戦争のない地に

住む人は人との争いがないことが平和と思うかもしれません。

例を挙げればきりがありませんがひとそれぞれ考えていることや体験が

違い自分と同じものは何一つありません。

同じリンゴを見ても過去の体験が違えばおいしいと思う人もそれほど旨く

ないと思う人がいても不思議ではありません。

だから、そのことをまず認識して人を見る必要があります。

そうすれば相手の言うことに少なからず共感を覚えると同時にそれほど

気にならなくもなります。

気にならなければ争いごとも減っていくのです。





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