破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:創造の楽しさ、創造の喜び」

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創造 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:創造の楽しさ、創造の喜び」

今日の破・常識!

創造の楽しさ、創造の喜び・・

これをあなたは求めて物質世界のテラに

生まれて来たのです。

byアシュタール

アシュタールからのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

「総蔵王の楽しさ、創造の喜び」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。

すこし考え方を変えてみたらいかがでしょうか?

楽しむということについて

角度を変えてみてはいかがでしょうか?

あなた達は楽しみは与えてもらうものだと

思わされています。

誰かが自分を楽しませてくれると思っています。

与えられる楽しみを探しているのです。

もちろんそれも楽しいと思います。

誰かが作ってくれたものの中で

遊ぶのも楽しいと思います。

私はそれを否定している訳ではありません。

でも、ほとんどの楽しみの定義がそうなってしまうと

それを取り上げられたときにどうしていいか

分からなくなってしまうのです。

いまがそうですね。

いままで楽しいと思っていたことを取り上げられ

返して欲しかったら言う事を聞きなさい

と言われているのです。

自分たちの言うことを聞けば

楽しみ、娯楽を返してあげますと言われて

仕方なく従うという事になってしまいます。

楽しみは自分で創ることができます。

自分で創った楽しみは喜びになります。

人から与えられた楽しみはそこで終わってしまいますが

自分で創った楽しみは持続し、それが喜びになります。

分かりますか?

人が作ったテーマパークはとても面白いと思います。

でも、それは一時的なものです。

楽しんで遊んで帰って来たらそこで終わります。

夢の国・・というフレーズそのものですね。

夢が覚めてしまうのです。

そうではなく自分で創った楽しさは夢では終わりません。

夢ではなく現実的な遊びになります。

積み上げることができる遊びは喜びになるのです。

与えられた楽しさは消費の楽しさです。

自分で創った楽しさは創造の楽しさなのです。

消費の楽しさは一時的なものです。

創造の楽しさは積み上げる楽しさなのです。

これはどちらが良い悪いと言っているのではありません。

ただ、与えられたものだけに頼ってしまうと

先ほどお伝えしたようにそれが取り上げられたときに

困ることになります。

与えられることばかりになると依存してしまい

与えられなくなったときにどうしていいか

分からなくなってしまいます。

創造の楽しさも知ってください。

物を作る楽しさは喜びになります。

それは自分を表現することができるからです。

あなたは自分を表現するために

テラに生まれてきました。

自分を表現することが喜びなのです。

何かを創造する、物をつくる

音楽を奏でる、文章を書く、

絵を描く・・表現する喜びです。

言ってしまえば、生きていることそのものが

創造なのです。

生きていることが楽しみであり、喜びなのです。

楽しさはたくさんあります。

自分で創ることができます。

自分の表現を楽しんでいれば

毎日がつまらないということもありません。

毎日、毎瞬を新鮮に楽しむ事ができます。

創造の楽しさ、創造の喜び・・

これをあなたは求めて物質世界のテラに

生まれて来たのです。

あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 

ありがとう、アシュタール! 

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