世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:安心、安全、過酷の概念の違いについて」

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ノラ猫 アセンション

世にも奇妙なフツーの話「アシュタール:安心、安全、過酷の概念の違いについて」

ミナミAアシュタールRadio240

「あなたが人に干渉しなければ・・」

vol.501 「作り方をお伝えします」
vol.502 「あなたが人に干渉しなければ・・」

読者から「猫を飼うことはレプちゃんと同じことをしている?」

ノラ猫ちゃんの生活は超過酷。
 
もし人間の自分が同じ状況なら、って
 
想像するだけでゾッとするけれど、、、
 
逆に家猫ちゃんは、すぐに去勢されて、
 
広い世界の存在すら知らないまま、
 
小さな空間で一生を終える、、、
 
確かに安全安心はほぼほぼ保障されては
 
いるけれど、、、もちろん、ボロボロな
 
ノラ猫ちゃんが、保護されて幸せ家猫さんに
 
なりました!ってケースもある、、、
 
現状、ド田舎でならともかく、
 
住宅密集地なんかで、さぁ今日から好きなとこに
 
行っておいで!と、言えるわけもなく、、、
 
でも、これってレプちゃんが人間にやってる
 
ことと同じじゃね?、ってよぎってしまう
 
ことがある。
 
猫ちゃんのカワイイエネルギーの搾取のために、
 
人間のエゴで狭い世界に一生閉じ込めてることに?、、、
 
これにアシュタールはどう答えるんだろ?
 
こんなこと言うのは、あまりに意地が悪いかなぁ。
 
それともナンセンスな話?
 
 
・・・というコメントをいただきましたぁ~^0^
 
 
では、アシュタール、よろしくお願いしま~す^^
 

「安心、安全、過酷の概念の違いについて」by アシュタール

「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
 
安心、安全、過酷の概念の違いですね。
 
動物には生きる力が備わっています。
 
動物すべてです。
 
人間も同じです。
 
植物にもあります。
 
 
ネコにももちろん生命力があります。
 
そして、ノラ猫はいません。
 
ノラ猫という言葉はネコは人間が保護しなければ
 
生きていけない弱い生き物という概念から作り出した
 
言葉です。
 
ノラ猫ではなく、野生の猫なのです。
 
トラやライオンと同じです。
 
ただ、人間に近い所で生きているだけなのです。
 
 
トラやライオンも保護しようとする動きがありますが
 
保護などしなくても十分生きています。
 
要らないお世話なのです。
 
自由に生きているのです。
 
サバンナに生きる動物を屋根のある空調が
 
効いた建物に保護しようとするのと同じです。
 
それはナンセンスなのはお分かりになると思います。
 
ジャングルの中で生きている小さなネコもいます。
 
その環境を過酷だと思っているのはいまの社会の
 
価値観を持った人間だけです。
 
 
空調管理された家の中で毎日何回か決まった時間に
 
ご飯を食べることができる環境を安全、安心、幸せ
 
だとしているだけです。
 
それが安全、安心であるかどうかは個体が決めます。
 
ジャングルの中で暮らす事が安全で安心、快適、幸せ
 
だと思うネコもいるのです。
 
ジャングルの中で暮らす人間もいます。
 
その人たちはその環境に順応して快適に生きています。
 
そこが好きなのです。
 
都会のような暮らしが幸せな暮らし、安全な暮らし、
 
安心な暮らしだと思っていないのです。
 
価値観が違うのです。
 
 
ノラ猫と呼ばれるネコも同じです。
 
人間からは過酷な環境でボロボロになって生きている
 
と見えても、そこが快適だと思っている個体もいます。
 
反対に家の中で飼われているのが快適だと思う
 
ネコもいるのです。
 
すべての猫が同じ考え、価値観ではないのです。
 
それは人間が決めることではありません。
 
その個体が決めることなのです。
 
 
家の中が快適だと思わず、外で自由に暮らしたいと
 
思うネコは、家の中から逃げることができます。
 
逃げ出すこともできるのです。
 
逃げ出さないのは、そこが良いと思っているからです。
 
そして、人間と暮らす事を選んだネコにもいろいろな
 
価値観があります。
 
ご飯に困らないからという価値観もあるでしょうが、
 
一緒に暮らす人間が好きだからそこに居るという
 
価値観もあります。
 
だから、人間のエゴだけでネコを閉じ込めている
 
訳ではないのです。
 
それはお互いのエネルギーの交換ができている時に
 
成立します。
 
エネルギーの交換ができず、虐待されていると思えば
 
ネコはそこから逃げます。
 
逃げる力は持っています。
 
人間の家で過ごしていたネコもそこから出た時には
 
生きる力を発揮します。
 
だから大丈夫なのです。
 
 
そして、もう一つの違いは、死ぬことを怖れていません。
 
死なない事が安全、安心だとは思っていないのです。
 
だから、イヤならばご飯のことや襲われる事など
 
心配せずに逃げます。
 
ノラ猫ではなく、野生の猫なのです。
 
伝わっていますでしょうか?
 
 
何が言いたいかというと、人間も同じだということ
 
なのです。
 
人間もレプティリアンの檻に閉じ込められている
 
ように思いますが、逃げようと思えばいつでも逃げる
 
事ができるのです。
 
人間にも生きる力はあります。
 
手を取り合えば何も困る事は無いのです。
 
もちろん、レプティリアンの檻に住む方が心地よいと
 
思うのであればそこに居るという選択もあります。
 
イヤだと思えば逃げる、そっと離れるという選択も
 
できるのです。
 
ただ、ネコと違うのは死ぬことが怖いか、怖くないか
 
という点です。
 
死ぬことを怖れずにいることができたら、
 
自由に何でも選択する事ができます。
 
 
何が幸せで、何が安全で、どうあれば安心、満足かは
 
その個体によって違うのです。
 
そして、もし捉えられて自由を奪われたとしても
 
逃げようと思えばどんな手を使ってでも逃げることは
 
できるのです。
 
野生の力を信じてください。
 
みんな自分の力で生きていける野生の生命力を
 
持っているのです。
 
 
あなたにも野生の力は宿っています。
 
自分で生きる力は持っているのです。
 
そこから出たければ出る力を持っているのです。
 
 
それを信じてください。
 
そして、自分で選んでください。
 
 
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
 
 
 
 
 

ありがとう、アシュタール! 感謝します。

マイコメント

そうなんですね。

私たちから見ればノラ猫はとても可哀そうな動物だと思ってしまいます。

天敵に襲われていつ死ぬかもしれないと思うと心が痛みます。

でも、そう思うこと自体が人間のエゴなんですね。

アシュタールが語っているように「死を恐れるか、そうでないかの違い」と

いう観点から考えればノラ猫は死を恐れていないわけですから、どこで

生きようと天敵に遭って殺されようと関係のないことなんですね。

私たちは死を恐れるので生きることに執着します。

彼らにはそれがないのですね。

だから、たとえノラ猫であっても立派に生きていると思うべきでしょう。

本当に大変なら向こうから助けを求めにきます。

コメント

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