破・常識あつしの歴史ブログ「アシュタール:子供と親は別の個性」

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親子 アセンション

破・常識あつしの歴史ブログ「アシュタール:子供と親は別の個性」

今日の破・常識

子どもと親は別の個性・・・らしい(笑)

 

アシュタールのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。



「子供と親は別の個性」by アシュタール


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

子どもを産み育てるということは、

あなた達にとっては大きなよろこびであるとともに

また大きな悩みでもあることだと思います。

人を育てるということはマニュアルでは出来ないことだからです。

個性によって違います。

この人にはこの方法がうまくいったけど

この人には逆効果だったということが多々あります。

それぞれの個性によって違うのです。

でも、根本は違わないのです。

もし、あなたがいま子どもを育てるということで

何か悩みがあるとしたら、この根本にもう一度戻ってみてください。

子どもを育てることの根本・・・それはなんでしょうか?


子どもを自立させることです。

自分の力で生きて行けるようにすることです。

これが子育ての根本です。

自分の頭で考え、自分で判断し

自分で行動できるようにすることです。

(ここでの自立は、いい学校を出て、いい会社に就職して

いまの社会でいい待遇を受けることが

出来ることではありません。自分のことは自分で

出来ることを自立といいます。どんなことをしても

生きていける知恵と自信を持つことです)

そのためにはどうしたらいいか?・・・

それを考えることが出来れば、おのずと

悩みに対しての答えは出てくると思います。


どうしてあなた達は子どもを産み育てようと思うのでしょうか?

もちろん子孫を残したいという

本能的なことが大きいと思います。

それは、身体という物質を持った

物質社会ではどの生物も同じです。

でも、人間の社会だけが面白い考え方をするのです。

他の生き物たちは、自分と子孫(子ども)は

別の個性だということを理解し、その子どもが

自分で生きていけるようにいろいろな知識を教えることが

親だと思っています。

そして、そのようにしています。

子どもがひとり立ちできるようにし

ひとり立ちした後は干渉しません。

あなた達人類も、子どもと親はまったくの

別の個性であることを理解してください。

子どもを産み育てるのは、親のためではありません。

ある宗教的な考えでは、子どもは親のために

生きなければならないと教えます。

親孝行をし、親の老後の面倒を見るために

子どもは生きるべきだと・・

そうでしょうか?

それでは、親は自分の面倒を見させるために

子どもを産み育てるということになります。

それでは、子どもは親の所有物のようになってしまいます。

子どもの自由はなくなってしまいます。

それでは、子どもに対しての愛がありません。

愛とは、相手に対する尊敬と感謝です。

相手の自由を尊重することです。

子どもの自由を尊重せず、コントロールしようとすると

たくさんの問題が起きてきます。

子育ての悩みというのは、ほとんどがここ

(子どもをコントロールしようとする)から起きてくるものなのです。

子どもへの愛を忘れないでください。

そして、何のために子どもを育てているのか・・

その根本的なところを忘れないでください。

その根本が揺らがなければ、親と子どもの関係は

とても気持ちよくスムーズなものになります。

仲良くすることが出来ます。

悩みはなくなります。


もう一度言いますが・・子どもと親は別の個性なのです。

子どもは親のために生きるのではなく

自分の人生を楽しく生きていくために生まれて来たのです。

そして、親も同じです。

子どものためだけに生きないでください。

親は親で自分の人生を楽しんで生きてください。

それが、子どもに自立して生きることを教えるのには一番なのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」

マイコメント


子どもが成人し、数年から数十年すると夫婦も年金をもらう年代になります。

そして、その時を境に多くの人の夫婦関係に転機を迎えるようです。

夫が仕事に行っているときには妻は割と自由な生活を送っていましたが

仕事を辞めてみると毎日家でゴロゴロしている夫を見るのが嫌になると

こぼす妻が増えてきます。

そんなときに感じるのが互いの個性が違うことです。

しかし、だからと言って離婚をためらうときもあります。

それは子どもの存在です。

家族というつながりの中で子どもは成人つぃて別々に暮らしていても

やはり自分の子供という意識があるので、別の人と一緒に人生を歩む

ことにためらいを感じます。

それはやはり、親子というつながりを切ることが出来ないという気持ちが

あるからですね。

 

別に切ることは必要ないのですが、別の人と一緒になると親子のつながりが

切れてしまい、会うこともできないし、親子の間に他人を割り込ませることが

出来ないという意識が生じます。

それはひとつに親と子供であっても個性が別であるという考えが出来ないから

と言えると思います。

 

それが出来る人は今まで一緒に暮らしていた人と別れて別の人との人生を

始めることが出来ると思います。

 

世間一般にはなかなかそうした親子関係をいつまでも自分の子供という

感覚で見ている人が多いように思います。

 

それが出来ている人は別々の人生を選んでいます。

それが本当に自立していると言えるのでしょう。

 

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