破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:自立した人たちで集まる」

スポンサーリンク
自立した助け合い社会 アセンション

破・常識 あつしの歴史ブログ「アシュタール:自立した人たちで集まる」

今日の破・常識!

自立した人たちで

それぞれの出来ることを提供しあう。

そうすれば、いまの搾取の(寄りかかりばかりの)社会から

そっと離れることが出来る・・・らしい(笑)

アシュタールのメッセージ

今日のアシュタールからのメッセージをお伝えします。

vol. 1149 自立した人たちで集まる

「自立した人たちで集まる」by アシュタール


「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

自立してください。

自立するというのは、自分のことは自分で楽しませることが出来る

という自信が持てることです。

孤独をも楽しめるということです。

孤独と孤立は違います。

人はもちろんひとりでは生きていけません。

でも、だからと言ってむやみに集まっても

それはそれで生きにくくなります。

むやみに集まる・・言葉は悪いですが、

それは依存しあうということになるのです。

自分で立てない人が集まっても

寄りかかり合うだけのことになってしまうのです。

寄りかかりあう関係になると、どちらがより寄りかかるか

のパワーゲームになります。

そして、寄りかかっている誰かがいなくなると困るので

お互い監視しあう?干渉しあうことになって

どんどん窮屈な関係になって行きます。

自立した人たちで集まってください。

寄りかかりあるのではなく、提供しあうのです。

自分の出来ること、得意なことを提供しあうことが出来れば、

とても気持ちの良い関係を築くことが出来るのです。

誰かがいなくなっても、自分でそれをすることが出来る

と思いますので誰かを束縛したり、干渉したり

監視したりする必要はありません。

自分でも出来るけど、でも自分よりもっと得意な人にお任せする

(その分、自分の得意なことは他の人に提供します)というのと、

自分で出来ないから、誰かに頼るしかない

と思うのでは大きく違うのです。

分かりますね。


自分で自分を楽しませることが出来なければ、

誰か自分を楽しませてくれる人を待つことになります。

自分を楽しませてくれる人を見つけると

その人に寄りかかり、その人がいなくなったら

どうしようといつも不安になり

心配で仕方が無くなってしまいます。

そのために、その人に好まれるような態度をとったり

すがったりしなければいけなくなるのです。

その人に自分の権利を渡してしまうことにもなってしまいます。

自分で立つことが出来れば、ひとりでも大丈夫と思えれば

誰かに自分の権利を渡すことはなくなります。

自分で自分を楽しませることが出来るように自立してください。

自分のことは、自分で何とかなると思える自信を持ってください。

そして、自立した人たちで

それぞれの出来ることを提供しあってください。

そうすれば、いまの搾取の(寄りかかりばかりの)社会から

そっと離れることが出来ます。

イジメなどのない社会を創造することが出来ます。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」

マイコメント

自立しているということは、自分自身である程度のことが出来るというこに

なります。

そして、助けが必要な時には素直に助力を求めることもできる人です。

自立すると言ってもすべてひとりで自分で出来るということではありません。

互いに自分の出来ることを提供し合いながら、互いに自立することを基本とし

過度に依存することをしない社会です。

そこでは、気持ちよく自分の出来ることを提供し、出来ないときには助けて

もらう関係にあり、だからと言って恩に着せるとか着るとかという関係にも

ないものです。

先日、ビフォアーアフターという番組で沖縄の離れ島で家をリフォームする

番組がありましたが、その中で改築前の家の家財を片づけたり運び出したり

するときに近所の住民が手を貸してくれましたが、これは困ったときに普通に

行われていた風習でした。

今は違いますね。すべてお金を払い業者に依頼するか、友人に頼んだとしても

何かしらのお礼を出すことが当たり前です。

とくに核家族化した今では友人・知人を集めることすら難しいでしょう。

沖縄の例では、誰かが困っていれば手を差し伸べ、それ以上の要求はしない。

でも、自分が助けてもらえたら、今度は誰かが困っていたら助けるという

相互扶助みたいなものです。

日本でも昭和30年代までは当たり前のようにありました。

わが家でも、小屋を建てたいと思う時には近所の人々が集まって自分の得意な

ことを提供し小屋を建てるということが良くありました。

今度はどこどこの家で小屋を建てると聞けば、親が手伝いに行きます。

終わった後には食事やお酒の提供は当然しますが、それくらいは労をねぎらう

意味で当たり前のことですね。

だから、日本でも普通に行われていたものなので、そうした習慣を取り戻す

ことが出来るはずです。

それが互いに自立している社会でもあります。

しかし、だからと言って街単位のような数千人規模のものにする必要はなく

数十人くらいの小サークルが数十個集まって小規模の街を形成するという

くらいがいろいろなやり取りもスムーズに行くと思います。

あまり、集団が大きくなるとそれを維持するための労力の方が大きくなり

効率が悪くなるのと何かとルールを作るようになるので、少人数で風通しの

良い集団の方がいいでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました