世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:自然と調和するテクノロジー・・・」

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三内丸山遺跡 アセンション

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:自然と調和するテクノロジー・・・」

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「現実化する思考とはどういう思考?」

vol.1123 「それがハートの望みなのです」
vol.1124 「現実化する思考とはどういう思考?」

じょうもんの頃の生活って・・・

じょうもんのころの人たちって
 
どんな生活してたんだろう・・
 
って思ってたら、さくやさんからメッセージが
 
来ましたのでお伝えしますね^^

「自然と調和するテクノロジー」by さくやさん

「じょうもんの子たちは豊かだったわよ~
 
豊かさの概念が、あなた達と全く違うのよ。
 
無いものは無い・・って思えたの。
 
無いものを追うことはしなかったの。
 
彼らは、あるものに感謝してた。
 
だから、いつも満足することが出来たの。
 
だから、いつも豊かな気持ちでいられたの。
 
 
あるもので満足してたから、貯める?
 
という概念もなかった。
 
いつでも、必要なものはすぐに手に入る
 
環境にいたから、貯める必要もなかった
 
んだけどね。
 
 
だからと言って、彼らがただ原始的な生活を
 
してたわけじゃない。
 
彼らはとても高いテクノロジーを持っていたわ。
 
それは自然と調和するテクノロジー。
 
だから、高い建物など建てなかったし、
 
冷凍食品も作らなかった。
 
 
冷凍食品など作らなくても、
 
いつでも新鮮な食べ物がすぐそばにあったから。
 
高い密閉された建物に住まなくても、
 
快適な住居はあったのよね。
 
 
自然と調和するテクノロジー・・
 
それは、あなた達のテクノロジーの概念とは
 
まったく反対のもの。
 
あなた達のテクノロジーは、征服なの。
 
どうやって自然を征服するか・・
 
を起点に考えてしまうから、
 
自然と調和しなくなり、物質は豊富だけど、
 
豊かさを感じることが出来なくなってしまうのよ。
 
 
自然には存在しない物質をつくるのではなく、
 
自然に戻るもので必要なものは作った。
 
だから、後世に彼らの文化は残らなかったのよ。
 
土器程度のものは残ってるけど、
 
本来の文明の形は残らなかったの。
 
物が残っていないから、あなた達は
 
じょうもんの頃の子たちを原始人だと思ってる。
 
だけどまったく違うの。
 
 
何かを征服する考えからは、調和は生まれない。
 
自然を征服し、気候を征服し(自由自在に
 
しようとしたり)、人を征服(服従)
 
させようとしたり・・
 
すべて対立のエネルギーが基礎となってるの。
 
だから、どんどん閉塞感に覆われた社会に
 
なってしまう。
 
 
話がそれちゃったからもとに戻すけど・・
 
じょうもんの頃の子たちは、働かなかったわ
 
好きなときに、手に入るものを食べ、
 
好きなときに寝て、好きなときに遊ぶ。
 
毎日、好き勝手に生活してたのよ。
 
みんなで何かをしなければいけない・・
 
なんてこともまったくなかったし。
 
町内会もなかったわよ(笑)
 
 
それでも、みんな仲良く暮らしてた。
 
家族という集団もなく、夫婦という形もない。
 
何の制約もない文明・・
 
それが、とても気持ちよく快適だったの。
 
そして近くにはいるんだけど、
 
それぞれのことに干渉しない。
 
寝てる子もいれば、食べてる子もいる。
 
遊んでる子もいれば、
 
一人でボ~~としてる子もいる。
 
誰かが何か面白そうなことをはじめたら、
 
それをやりたい子が参加して、
 
飽きたらやめる・・
 
やめてまた違うことをはじめる・・
 
そんな生活。
 
 
どう?楽しそうでしょ?
 
あの子たちは、どこも目指さなかったの・・
 
何かにならなきゃいけないなんて
 
思わなかった。
 
成長?しなきゃいけないなんて、
 
まったくそんな概念はなかった。
 
自分は、そのままでいい・・
 
と本気で思ってた。
 
というより、そんなことも考えなかったわね・・
 
当たり前すぎて。
 
すごくセルフイメージが高かったってことね。
 
だから、平和でいられたの。
 
いつも、いまを生きていられたの。
 
いまを楽しんでいることが出来たから、
 
いつもご機嫌さんだった。
 
みんながご機嫌さんだから、
 
ケンカなんて起きないのよ。
 
 
あなた達の社会の概念?思考?から考えても、
 
きっとじょうもんの頃の子たちの
 
生活は理解できないと思う。
 
まったく反対だからね。
 
 
・・と言うことは、あなた達の思考を
 
まったく反対にしてみれば、
 
またじょうもんの子たちのような生活が
 
出来るってことよね。
 
じょうもんの子たちの築いてきた、
 
平和で楽しい文明を築けるのよ。
 
 
すべてにおいて、征服じゃなくて、
 
寄り添う(調和)の考え方にしてみたら?
 
そしたら、きっと楽しくなると思うんだけどね。
 
きっとじょうもんの頃の子たちのように
 
自由でいられると思うんだけどね。
 
 
あなた達を心から愛してるわ~」
 
 

ありがとう さくやさん!

マイコメント

じょうもんの頃の人たちは自然に戻るもので物を作っていた。
だから、今の時代に遺産として残されたものが少ないのよ。

という言葉にあるようにじょうもんの頃の生活を再現した住居や生活スタイルが
あちこちの遺跡のある観光地に展示されていますが、本当はそのようなものでは
なかった可能性があります。

三内丸山遺跡に見る高い櫓の住居も残された穴から想像してそのような建物だった
だろうと言われているものです。

想像の産物です。
これが正しいという保証はどこにもありません。
ただ、そうだった可能性が高いというものです。
すべて残された地中の穴から推測されたものです。

もっとも材料として使われた木材や屋根の茅葺は時間の経過とともに朽ちて
なくなるので残らなかったものと言えば正しいかもしれません。

ただあるがままの生活をするというスタイルは現代文明社会とは180度異なります。
私たちのように目的を持ちただひたすらそれについて追及するスタイルではない
のです。

そして、一番大きな違いはお金でしょう。

私たちははっきり言えばお金の奴隷です。
お金を得るために働き、物を買うためにお金を消費する。
お金がないと生活は成り立たず食うものにさえ困り餓死します。

それだけではなく、稼いだお金の半分以上が税金として没収され
税金によっては払わないと家や車を取り上げられたり、延滞が
かさむと突然銀行口座からいきなり抜き取られます。
本人の承諾なしに銀行口座からお金を引き出す行為は泥棒そのもの
ですが、国家の行為として合法化されています。
それが現代社会です。

どこにも自由はありません。
あるのは制限された自由だけです。

それは決められているからと言う言い訳もありますが
それは人間の本来の在り方ではないでしょう。

そもそもがそういう制限されていることがおかしいのです。
もし、税金がなければこの社会はもっとバラ色でしょう。
私たち自身の持ち物と言えばこの身体だけです。
残りはすべて税金の塊です。

ともかく税金のかからないものはなにひとつありません。

そういう心配が要らないじょうもんの人たちはどれだけ幸せ
だっただろうと思います。

毎日自分の好きなことをやり、他人には干渉しない。
食べ物も周囲にたくさんあるのですから困らない。
衣食住がある程度満足されていれば心配はいらないのです。

私たちはどうやったらじょうもんの生活スタイルに近づけるか
考えていかないといけないですね。




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